野球を奪われ、見つけた「1000万円」のパンフレット
かしこまりました。いただいたエピソードの熱量をそのままに、ブログ記事としてそのまま使える構成と文章を作成しました。
このままコピペして調整していただいても、ご自身の言葉を付け加えていただいても大丈夫です。
タイトル案:年収1000万の切符を捨ててITへ。「船乗りの卵」だった僕が、あの日キーボードを叩き始めた理由
1. 野球を奪われた少年が見つけた、一枚のパンフレット
僕の物語は、挫折から始まりました。
中学時代、僕は野球に全てを捧げていました。しかし、不運にも怪我に見舞われ、親からは「これ以上野球を続けることは許さない」と告げられたのです。打ち込んでいたものを失ったそんな中学校生活にて3年の夏。僕が出会ったのは、一冊の学校案内でした。
「船乗りなら、年収1000万円も可能。就職率100%」
その文字が、僕の目に飛び込んできました。 なぜか昔から「親よりも稼ぎたい」という気持ちが人一倍強かった僕は、迷わずその道を選びました。野球という情熱の矛先を「稼ぐこと」に変え、僕は船の機関士を養成する高専へと進学したのです。
油にまみれた5年半と、一つの迷い
高専での5年半は、巨大なディーゼルエンジンと向き合う日々でした。 鼓膜を破くかのような轟音、室温40度を超える機関室、手に染み付いて取れない油の匂い。それでも「将来稼ぐためだ」と自分に言い聞かせ、必死に食らいつきました。
しかし、卒業が見えてきた頃、ある現実が僕の前に立ちはだかりました。 船乗りの常識――それは「3〜6ヶ月は海の上で働き続け、その間は家族にも会えない」という生活です。
もちろん給料は高い。でも、もし将来自分に大切な人ができ、子供が生まれた時、僕はその成長を写真越しでしか見られないのではないか? 「稼ぎたい。でも、好きな人との時間も大切にしたい」
そんな迷いの中、履歴書の添削をお願いしたのが、当時親しくしていた先生でした。
僕の悩みを知った先生は、まっすぐ僕の目を見てこう言いました。 「船乗りとしてトップを目指さない(大手に行かない)のであれば、その道はもう辞めなさい。君には別の可能性がある。私が就職先を紹介してやるから」
5年半、船乗りのことだけを考えてきた僕にとって、それは衝撃的な一言でした。でも同時に、視界が開けたような気がしたんです。
こうして先生が紹介してくださったのが、国内最大手グループの企業でした。「ここなら、家族との時間を守りながら、実力次第で親よりも稼げるかもしれない」。そう確信した僕は、船乗りの切符を置き、ITという未知の海へ漕ぎ出す決意をしました。
入社1週間で突きつけられた、残酷な現実
「陸でも、これまでと同じように根性で上り詰めてやる」 そう意気込んで入社した僕を待っていたのは、予想だにしない宣告でした。
入社してわずか1週間。配属されたのは、希望していた「ハード(物理)」の設計ではなく、「ソフト(コード)」の設計部署だったのです。
5年半、スパナとハンマーを持って物理的なエンジンをいじり続けてきた人間が、いきなり窓のない部屋で漆黒の画面に並ぶ「Java」という謎の文字列と戦うことになった。
OSって何? コンパイルって何?
あんなに「稼ぐ」と息巻いていた僕は、入社早々、何一つ理解できない「異世界」に放り出され、絶望することになりました。
次回予告
コードが1行も書けず、研修中に頭が真っ白になった僕。 そんな「お荷物」状態だった新入社員が、どうやってインフラという自分の「聖域」を見つけ出したのか。
次回、**「Java研修での挫折と、インフラ屋への転向」**についてお話しします。


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